「女川町復幸祭」は、東日本大震災から新生女川へ向けて進む姿を全国の人に見てもらいたいという想いと、『千年に一度の町づくり』への夢と希望を託しています。
大震災の起こった翌年2012年の3月に初めて開催され、今年(2016年)で5回目を迎える「女川町復幸祭」。
津波の被害が甚大だった宮城県牡鹿郡女川町。
ほとんどが壊滅状態だった女川町が、今、夢を叶える町として、生まれ変わってきていますね。
復幸祭を通して、復興が終わったと言える状況ではないですが、未来に希望を感じられ、女川町の力強さを感じました。
午前中、先ずは復幸祭が始まる前は「復幸男」を決めるところからスタート!
「津波が来たら高台へ逃げる」という津波避難の基本を後世に伝え続けたいという企画により、津波伝承女川復幸男が決まり、「きぼうのかね」が鳴らされました。
サンマ炭火焼を食したり、ステージでは伝統芸能やバンド演奏が行われましたよ。
女川自慢の炭火焼きサンマは絶品!
限定2000食が大人気であっとゆう間になくなりましたが、外で食べるとこれまたおいしいですね。
そして、PEACE PIECEの仲間でもあるロングビーチハウス(宮城県・石巻市)も出店していました。
女川・牡鹿半島の魚介を使ったスペシャルブイヤベース!
魚介エキスたっぷり染みこんでいて、ほっぺが落ちちゃいますね。
そして、午後は体験コーナーに行ってきましたよ。
先ずは、私が会いたかった人は、D-BONS(ディー・ボンズ)さん。
女川生まれ、女川育ち、とにかく女川大好きなヒップホップな男性がいるということで、とっても興味があって会いたかった人です。
女川を拠点に活動するグラフィティライター、そして、「SUGAR SHACK」でバーのオーナー、という二つの顔を持ち合わせる人物。
バンドをやっていたギター・ボーカルのPEACE PIECEの高畑勝樹が興味を持ったのは、宮城県女川町にてエレキギター・ベースの生産を始める「GLIDE garage」の工房ツアー。
2015年末より稼働し、2016年から本格的に生産を始める予定だそうです。
女川、東北、日本の素材と技術を最大限に活かし、ここでしか作れない、オリジナリティー溢れるギター・ベースの生産を目指しているので、楽しみですね!
女川町の今をたっぷりと見て、感じてきました。
この記事を書いた人

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一般社団法人PEACE PIECE監事 / 株式会社FIVE POINTZ取締役
1981年生まれ 福岡県出身
聴覚・視覚・知的障害児者施設や高齢者施設等を訪問し、幅広くボランティアに携わり、将来継続できるボランティアの体制やコミュニティーの場を作りたいと考える。 東日本大震災を機に夫婦で東北地方へ繰り返し訪問し、子どもたちを中心とした支援活動を開始。2016年に「一般社団法人PEACE PIECE」を設立。自身に出来るアートやイラストの展示や販売、イベント開催などによるチャリティー活動を行う。赤十字救急法救急員の資格を取得、被災地を訪問した経験から現地の声を活かした防災・減災活動をイベントや講習で実施。現在、自身のボランティア経験や手話の資格を活かし、障害児・者との交流の場作りや、女性目線での防災、子どもの貧困問題による地域の居場所作りにも取り組む。
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