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2016.4.6

【石巻】こども∞感ぱにー代表・けろちゃん(田中雅子さん)インタビュー《前編》黄金浜ちびっこあそび場に子どもたちの笑顔の花が咲く

こども∞感ぱにーとは

 

感ぱにーの「感」は、∞(無限)に広がる可能性を秘めた「子どもの感性」と「感謝の心」を大切にしたいという思い。

子ども達は遊びを通じて、想像力を掻き立て、それを実行・実現することで想像力を培い、自己の発見を繰り返していきます。

そして、一人では決して学ぶことのできない社会性や協調性を学び、成長していくためのたくさんのエネルギーを交換し合います。

そんな自由な発想と創造力を育む環境を作るとともに、いつも子ども達が笑顔でいられるための遊び場作りをしています。

そして、昔は当たり前だった、地域のみんなで子ども達の成長を見守り、子育てを行う地域を理想とし、地域の人たちと共に子どもたちの遊び場作りを行っています。

 


【HP】 http://codopany.org/

【住所】〒986-0042 宮城県内石巻市鹿妻南2-1-7

【電話】090-5902-0307 (受付時間:月~土 10:00~18:00)

黄金浜ちびっこあそび場はコチラ 〒986-2135 宮城県石巻市渡波字黄金浜152-2


 

あそび場で大切にしていることはなあに?

 

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①土・水・火・木とふれ合う遊び

自然の力を、五感で感じながら思いっきり遊ぼう。

②「だめ!」のない遊び場

頭ごなしに抑制せずに、一緒に考えてやってみよう。

③地域で子どもを育てる

未来を担う「みんなの子ども」の成長を地域のみんなで見守ろう。

④子どもも、大人もみんな一緒

子どもも、昔子どもだった大人も一緒の、みんなの居場所。

⑤自由な発想力を尊重し、想像力を育む

「作りたいものを作る」「あそびのルールは子ども達と一緒に決める」限りない子どもの可能性の芽を伸ばそう。

 

石巻市内の黄金浜ちびっこあそび場を訪れた。

 

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こども∞感ぱにーは、震災をきっかけに石巻で活動を行い、子ども達の遊び場作りと子ども達の笑顔を通じて地域の方たちの集まる場所作りに携わっています。

こども∞感ぱにーの活動は、週2回の黄金浜ちびっこあそび場から始まり、鹿妻のあそび場、未就学児のあそび場、子育て相談、といった多くの活動を行っています。

遊びのプロ’遊び隊長’がたくさんの遊び道具を車に積んで、仮設住宅でのあそびの出前を行ったり、自然の恵みを心と身体で感じるために「水なし、ガスなし、電気なし」のEcoキャンプを行ったりと、活動の幅も広いのです。

子ども達、お母さん達の声、そして地域の方の声を聞きながら共に歩んでいるそうです。

あそび場所に必要なものは、子どもと地域の方と一緒に考えて作る、手作りのあそび場。

私たちも石巻を訪れる度に、あそび場の一つである黄金浜ちびっこあそび場に何度かお邪魔させて頂き、子供たちの遊びにも混ぜてもらいました。

震災後、2011年の9月にできた黄金浜ちびっこあそび場。

こども∞感ぱにー代表、けろちゃんの愛称で親しまれる田中雅子さんに震災後の石巻の様子や石巻の子どもたちのお話を伺いました。

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子どもと子ども、子どもと大人、大人と大人が繋がる場所。

私たちが応援するロングビーチハウスからも程近い、石巻市内渡波地区にあるこのあそび場。

海沿いを走る国道398号を渡り、海からも歩いて5分程の場所に位置しています。

もともと、このあそび場が出来た場所はどんな場所だったのでしょうか。

 

黄金浜ちびっこあそび場はもともと広場だったの?

 

けろちゃん もともとは、公園だったんですよ。

あそび場がある石巻市の渡波地区は、区画整理されていない古い街で、もともと公園がすごく少ない地域。

20年以上前に、保護者の方が自分の子どもを遊ばせる場所がほしい、と地域の地主さんにかけあって、空いている土地を公園にしていた場所なの。

ここは私有地なので、石巻市の管轄じゃないんですよね。

それに、もともと市は公園に関して復興の予算をとっていなかったので、地域の人の「公園を再開させたい」という思いで、震災後の7月頃、市にかけあいました。

手で拾えないようなヘドロや、土の中に入った細かいガラスがたくさんあって、重機を入れてもらう必要があったの。

自分たちだけでは取り除けない作業だから、市に整地を行ってもらってね。

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―ところで、けろちゃんは被災当時はどこにいたのですか?

けろちゃん 震災時は、栃木にいましたね。

長野県の山奥にある自給自足のフリースクールで働いていたんですよ。

もともとは私、保育士なんです。

津波の映像を見てびっくりして、東北へ来て、物資の運搬などの活動を行っていました。

 

震災後、子どもの遊びは激減!

 

震災後、石巻では子供たちの遊び場は激減してしまいました。

津波によって海に近い公園は「危険区域」として立ち入りができなくなり、残った遊び場の多くが瓦礫置き場や仮設住宅になったそうです。

 

―震災後、子どもたちの遊ぶ場所は減りましたよね?

けろちゃん 鹿妻地区は区画整理をされているから公園が多い場所。

市の管轄の公園が多いから、早い時期に復旧しているかな。

すぐ隣の渡波地区は公園が少なかったのね。

今は復興公営住宅が建ち始めて、その敷地内に公園ができ始めている。

綺麗な公園がようやく最近できていますね。

長浜公園(ロングビーチハウス近く)は整備が遅かったけど、地域の住民が一生懸命直していましたよ。

ただ、その辺に住んでいる子どもは少なくなってしまったんだけどね。

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―被災後の教育機関の状況はどうですか?子供たちが学校に通えるようになりましたか?

けろちゃん 学校によってまちまちですね。

避難所になっている学校が多かったし、避難所が解散になったのはだいたい(2011年の)夏くらい。

学校は(2011年)4月から再開しているところもありましたね。

避難所として受け入れをしながら、教室では授業を並行しながらやっていましたね。

 

遊び場ができるきっかけになったのは子どもたちの笑顔。

 

震災後、けろちゃんたちは、石巻の中でも津波の被害が甚大だった牡鹿半島で活動をしたのですが、子どもの声も姿も見かけないことに違和感を感じていたそうです。

その集落は漁師町で、船も家も港も津波によって何もかも失い、大人たちは絶望のあまり将来を考えることすらできなくなっていたように思いました。

そんな時、「ワウ ドキュメント」というアーティスト集団が石巻を訪れたことがきっかけで、その地域に子どもたちが集まり、笑顔がいっぱいの空間が広がることになるのです。

 

―みんなで映画を作ることで、遊び場を作るきっかけになった、とお聞きしましたが?

けろちゃん 彼ら(ワウ ドキュメント)は、震災当初に、子供たちに何かしたいという思いで石巻へ来てくれました。

先ず、子供たちに紙を配って、何を作りたいかを書く。

その紙を張り出し、投票して、一番投票が多かったものは絶対に何でもやるという遊び。

例えば「うまい棒の壁を壁一面に作る」「グラウンドでお風呂に入る」とか…(笑)

「家庭用の電球で街を照らせるか?」ということも、ヘリコプターで電球を吊るして、街の上を走ったりする。

当時ね、石巻の避難所を彼らは回っていたんだけど、みんなに断わられたの。

「今の時期は子どもを刺激するようなことはしないでください」って言われたの。

でも、私たちは「すごく面白そう!!」って思ってね、鮎川(牡鹿半島)でやってもらったの(笑)

その時ね、どこにこんなにたくさん子どもたちがいたんだろう??というくらいの数の子どもたちが集まったの。

毎日、学校が終わるとランドセルしょったまま駈け付けてね。

「1000人の滑り台」「13メートルのジャングルジム」・・・いろんなことをみんなが書いた。

あと「家に車の足がついている」・・・これは切ないんだけど、津波が来たら家ごと車で逃げれるみたいな発想ね。

最終的には「映画館を作る」ことに決まってね。

1回きりだけど、ダンボールで作って、投票で決めたディズニーのウォーリーを上映したの。

入り口や売店、チケットをもぎる場所なんかもあるわけ。

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アトラクションとかの入り口にあるような回転棒みたいなものまで作って、すごいでしょ(笑)

彼らが一緒に子供たちと作っていこうってなってからは、本当にみんなが楽しくてね。

6月の半ばに本当に楽しい空間ができたの。

それを見た親御さんたちがすごく元気をもらったの。

漁師町だから、船や家を流されたって人が本当に多い地区だったんだけどね。

子供たちが笑顔になってくれるってことが、みんな一番元気になる。

こういう遊び場が大事なんだ、だからみんなで遊び場を作ろう、ってなりました。

 

遊び場はどんな風に作られたの?

 

「俺たち大人は元気がなかったけど、こうして子ども達が笑っていると元気をもらうんだよな。けろちゃん、あそび場を作ろう!」親御さんの一人からの声がありました。

子ども達の笑い声が響き渡った時、まるで天からの光が差し込んだかのように、町がぱぁっと明るくなったように感じたそうです。

そして、今出来上がっているあそび場には普通の公園には見かけないものもたくさんあります。

大きな土管に、醤油だる・・・気になる遊び道具がいっぱいです。

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―置いてある遊具も、いわゆる普通の公園とは違いますよね!

けろちゃん カラフルな遊具ってよく公園にあるじゃないですか。

遊具メーカーさんから「遊具を提供します」という声も頂いたんですけど、それを置いたらすぐに(公園が)できあがっちゃいますよね。

なんかそうじゃなくて、みんなで作っていく公園にしたいなって思っていたので、断ったことがあります。

 

―手作り感がいいですよね!細かいこだわりもあって、見ているだけで面白かったです。

大きな醤油だるは味があって、とっても可愛いですね!

滑り台は最初からあったのですか?

けろちゃん 滑り台はもともとあって、壊れているんですよ。

もう撤去しちゃったんですけどね。

あとね、醤油だるももう無くなっちゃったんですけど(笑)

近くで被災して、流れ着いたものなんですけどね。

 

―あれは個人的に気に入っていました(笑)

けろちゃん 顔があって、愛着のある醤油だるでしたからね。

子どもたちに支給される遊び道具も多かったんですか?

けろちゃん 私たちは仮設住宅であそび場を行うこともありますが、いまだに物資の配布があったりする。

子どもたちに支給されるものが多い。それが本当にいいことなのかなって思うこともある。

実際にお店も再開しているわけですし、一時は物を配るということに対して、再開したお店の妨げになることもありました。

避難所生活のため、学校なども物資で溢れていました。

子どもにとっても大人にとっても、物が溢れた時期がありましたね。

そのため、子どもたちの物へのありがたみがすごく麻痺している。

どこかでクリスマス会をやるっていうと、すごーい大きい袋を持って帰ってくるの。

でね、ほしいおもちゃじゃなくて、いらないおもちゃがたくさん入っていて、捨てて帰っちゃうの。

例えば、わかりやすかったのは小学校5年生の男の子へのプレゼントに、赤いランドセルが入っていたの。

これ、いらないでしょって(笑)

ただ、そこが物への価値観も麻痺していく原因になるよね。

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必要な人のとこに必要なものが届くシステムが大事。

私たちのあそび場では、一切物を配らない。

お金なのか、人と人を繋ぐコミュニティーをつくるのか、その人が何を必要としているのかに答えることが支援。

「お米もらえれば嬉しいでしょう」「お金があればいいでしょう」じゃなくてね。

一人でお茶飲む友達がいなくなったおばあちゃんにとっては、話し相手が必要だったりね。

 

―あそび場の近くに仮設住宅も多いですよね。仮設住宅の期限はいつ頃までですか?

けろちゃん ちょうど5年かな・・・2016年度くらいで、公営住宅等の建物は建て終わるから、みんな移り住んでいく。

いろんなところに点在している仮設住宅を、一箇所にまとめていくことですね。

仮設住宅はいつか出ていかなくちゃいけない場所だからね。

黄金浜のあそび場近辺は、仮設住宅が多く建っている場所。

そこに引っ越してきたおじいちゃんやおばあちゃんが遊び場にも来るのよ。

子供がいると、大人は元気になるんだよね!

それは子供の力なんだよねえ。

あそび場が地域で使われていくといいな、って思います。

 

Coming soon…

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